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11月26日21時 カラビナ・イン・ブルー 放送を再開します。
皆様おたのしみに!
スペシャルゲストの葛原さんから、以下の文章を頂きました。
ラジオ「カラビナ・イン・ブルー」出演にさいして
約一〇年ぶりのラジオ出演ということで、懐かしいと同時に、表現の時代であった二〇代の仕事の集大成として「こえ」に拘っていたかつての自分に多少の恥を覚えている。
「印刷機械の発明の結果、詩人は猿ぐつわを咬ませることになった」とある詩人の言ったことに呼応して、活字媒体から古来よりの伝達方法であった「こえ」の再興を期したのだったが、わたしが恥と感じたことは、活字から肉声への転向をほとんど自己批評なく無条件に乗り換えてしまった身替りの早さがあさましく感じたからだ。
とはいえ、それは賢明な判断ではあった。
なにしろ、詩、短歌、俳句の印刷物の書店からの一斉追放が開始された二一世紀初頭は弾圧の氷河期であったし、メディアはともかく、安寧でいられる作家も、そうでない作家も殆どが弾圧側に回っていたのだから。
たとえ、静観という正当な態度をとった作家でさえも。だからわたしは原爆の詩をNHKのラジオで紹介した。
ほかにライヴやゲリラ朗読も盛んにして、それは活字媒体では実現できないリアルをお届けすることができた。
わたしは、いま「こえ」という伝達を重宝としながらも、自己批評を籠め、「文字」の起源の追及に着手している。
しかし自己紹介ということも兼ねて、ラジオ出演の思いに話は戻そう。
二〇〇六年、わたしはキューバに一〇日間滞在している。
革命の闘士としてチェ・ゲバラ、カストロたちの築いた国の現在をじかに体験したかったのだが、ラジオが革命に導いた媒体として、特に、マエストラ山脈をゲリラ活動の拠点としたカストロたちが唯一、国民に活動の最新情報を伝える手段として、「ラジオ・レベルデ」を自前で作り、展開していったことを知っており、オリーブ革命という完全無血ではないにしろ、実現できた「こえ」の能力をキューバ国内から情報を得たかったのである。革命の基礎であったホセ・マルティ(政治家であり詩人)の存在や、ゲバラの拠り所としていた詩人ネルーダなどの詩、あらゆるラテン・カルチャーを国民に紹介していたことのあらましを確認できた貴重な旅であった。
と同時に、ラジオがまた暴力となった最たるものとして、ルワンダのジェノサイドの立役者を担った「千の丘の自由ラジオ」に遭遇し、その脅威に慄いた。
前者は詩などラテン文学、音楽の力として、後者はよりカルチャーに人気DJなどアーティストといっても良い存在が目的を持たせた力として、私はラジオでさえ肯定的な立場が取れなくなったのだ。
ことさら、私は「負」の面のラジオ媒体を強調せざるを得ないのだが、しかし徳重英子さんより一〇年ぶりの機会を頂き、カルチャーの主流になり得ない小さな詩人、歌人、俳人だとしても、どんなささいな表現でも責任を持って「こえ」をリスナーにお届けしようと心動かされている。
そして表現は楽しまなければ、創造という作業に臆病であってはならないという気にさせるには、ラジオのあらゆる歴史に対面していたここ数年が不可欠だった。
西日本は七月の豪雨から、逆行する台風など、関東にいるわたしには気が引けていた。
広島・福山が本籍なので、なおさら。このご縁に感謝。
葛原りょう(詩人)
テーマ「ともだち」について
わたしの葬式に、だれが来てくれるか式場を幽体で観ていたいと思うほど、ひねくれている人間(笑)に、「ともだち」というテーマが舞い込んでなんとも言えない気持ち。
かつてわたしには肩ぶつけ合いながら歩いてくれた隣人がいた。
ともだちとは、そのような距離なのだろうと思い返すことがときどき、ある。
だからともだちに関して、気の利いた言葉を持っていないトホホな中年男なのだ。
一生にともだち三人いればまず幸せな方だろうと思っているけど、「ともだちという幻に気をつけろ!」とインターネットの現代にまずは贈ろうか。
と言うのも、ともだちを他者に求めるよりも、まず自分自身とおともだちになれているかどうか? が先じゃないかと思ったりする。
自分が嫌いな人間を隣人が好きになってくれるかどうかをちょっと考えて、わたしはまず、ことば=詩をともだちにして、詩に自分自身の仲介役をお頼みして、そしてやっと自分自身とおともだちになれたことで、やっと一人、切っても切れない関係をせこせこ作ったのがつい一〇年前くらいかと思う。
三〇年くらい費やしてやっと一人目なのです。(しかも、自分!)期待しない、願わない、ということを徹底して、こころというものを落ち着かせて、いまは少し、こどものための詩や童話を書いています。
そうしたら、やっぱり「ともだち」が欲しくなった。
なので、ラジオ出演はわたしの「ともだち」探しに一役買ってくれださるだろうという下心で京都のスタジオに参ります。
「遠方より友来たる」の時代ではないので。
葛原りょう(詩人)
葛原りょう/髙坂明良(こうさかあきら) 詩人、俳人の筆名は葛原りょう、歌人の筆名は髙坂明良として活動。東京都三鷹市生まれ。小学2年より不登校で中卒。ヘッセ『デミアン』宮崎駿『風の谷のナウシカ』ちばてつや『ユキの太陽』に励まされる。18歳で家出をし埼玉県毛呂山の「新しき村」で3年農業生活を送る。独学で詩、短歌、俳句、小説など、30000ほど作品を残す。 05年、第4回「詩と創造」奨励賞受賞。同年、第1詩集『朝のワーク』刊行。07年、第2詩集『魂の場所』(H氏賞最終候補)刊行。08年、詩集『朝のワーク』が文芸社VA大賞詩部門最優秀賞受賞。同詩集が復刻出版。『原爆詩集八月』参加。NHKラジオあさいちばん出演数回。短歌では福島泰樹(月光の会)に師事。朗読バンド「ムジカマジカ」のヴォーカル。都内を中心にパリ遠征、山形県チャリティーライヴを成功させ、舞台「星降る夜に」「虹の彼方へ」に出演(築地ブティストホール)。同時に成宮アイコと「カウンター達の朗読会」を結成し活動中。14年、第4回芝不器男俳句大賞奨励賞受賞。第1歌集『風の挽歌』刊行、第八回日本一行詩大賞新人賞(選者 映画監督・俳人角川春樹。歌人福島泰樹。芥川賞作家辻原登)と第三回黒田和美賞受賞のW受賞。18年6月、第1句集『ファーイースト』刊行。現在、「大衆文藝ムジカ」主宰。出版社「工房ムジカ」代表。埼玉県小川町下里の廃校で詩と俳句の講師をしている。八戸、由布、盛岡、宮古、軽井沢、那須、小淵沢、浜坂など旅を好む。曽祖父に童謡詩人・葛原しげる(夕日 ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む♪、とんび ピンヨローピンヨロー♪、村祭 どんどんひゃららどんひゃらら♪など校歌含め4500ほど遺す)、その祖父に八雲琴の発明、現存する日本最古の折り紙を作った盲人箏曲家葛原勾当(「葛原勾当日記」広島県重要文化財)がいる。